大槻ケンヂ。

sakaeyusuke2006-04-11

みなさん、大槻ケンヂさんって知ってますよね?


80年代、顔にヒビ割れの入ったメイクで「筋肉少女隊」を結成し、バンドブームを

牽引したミュージシャンであり、現在はロックバンド「特撮」のヴォーカリスト

そして多くの雑誌に連載を抱える売れっ子作家であり、テレビ・ラジオなどで

幅広く活躍するマルチなお人である。

その風貌と作風から、サブカルチャー好き(サブカルの定義は分からんが)な人からの

人気は絶大。バンドブームを知る人ならヒット曲「元祖高木ブー伝説」という曲の

タイトルでピンと来るのではないだろうか?



私とこの人との出会いは、大学生の頃までさかのぼる。

出会いと言っても、こっちが一方的にファンになっただけの話だが。

当時、大阪芸大の文芸学科に通っていた私の周りの友達は、文学青年・少女たちが

わんさかいた。

みな将来は売れっ子小説家・脚本家を夢に抱いて、この大学のこの学科に

入学してきていた。


中学時代からお笑いの魅力にとり付かれていた私は、高校を卒業したらすぐにでも

お笑い関係の仕事に就きたかったが、親の説得もあり大学進学を選んだ。

その説得も、「お父さんは大学でお母さんと出会ったんだ!!」という

今考えれば意味の分からないものだったが。

それまでも文章を書くのは大好きだったが、こち亀を今でも全巻揃えているような

漫画好きな奴だったから、小説なんかは一切読んだことがなかった。


しかしいざ大学に入学してみると、周りは文学青年たちのルツボ。

もちろん「文学史」なんかの授業も内容がチンプンカンプン。

授業後の学食で、友達の「さっきの授業面白かったよなぁ〜」という問いかけにも、

「え、ずっと前の席の女の子のブラのホック見てた」と返し、白目を剥かれていた。


まぁ大学生ってのはとにかく若い。酒なんかがちょっと入ると、仲間内で

現代文学について」なんかのテーマで、度々議論が巻き起こる。

友達が熱を入れて「村上龍、春樹とは!?」や「太宰治の生き方とは!」なんかに

泡を飛ばしてる間も、私は「そうだね」「うんうん」と分かったフリで、往年の

ひょうきん族うなずきトリオと化している他なかった。

そんな私の浅はかな知識にある日、友達の1人が気付いてくれたのだろう。

「これ読みなよ」と差し出してくれたのが、大槻ケンヂ氏のエッセイだった。


大の活字苦手野郎だった私だったが、おそるおそる読みふけるうちに

「お、面白い!!」と、どっぷり大槻氏の書物にハマるようになった。

既にたくさん刊行されている氏の作品を買いまくり、それらの文庫本を

ジーパンの尻ポケットに忍ばせて、コーヒー片手にキャンパスの芝生に転がるのが、

何よりの楽しみになった。

グミ・チョコレート・パイン」「くるぐる使い」「新興宗教オモイデ教

「のほほん予備校」「猫を背負って街に出ろ!」・・・などなど、私はいつの間にか

すっかりオーケン文学作品の虜になってしまった。失礼だが、氏の本業である音楽は

今まで一度も聴いたことがないが。

彼の作品は、そのキャッチーな読みやすさも去ることながら、心がほっこり

するような内容が魅力である。人間の、特に若者のバカさ・哀しさをいい具合に

調理して表現し、笑いを随所に散りばめながら、最後はぎゅっと締める。アハハと笑う

だけのエッセイも魅力だが、長編小説なんかもとっても素敵なのである。

だから今でも、私にとって新刊が発売されるのがとても待ち遠しい作家さん(?)の

一人である。


そんな学生生活を送っていたある日、そのオーケンを薦めてくれた友達から

ビッグニュースが舞い込んできた。

何でもオーケンが当時新刊の「リンダリンダラバーソール」の発売を記念して、

サイン会を大阪は天王寺の書店で行うらしい。

「これは行くっきゃない!」ということで、ミーハー丸出しで昼頃から

その書店で整理券をもらうために並んだ。すると書店の店員から、

「こちら、大槻さんへのファンからのメッセージカードになります。よかったら

 サインをもらった時に、お渡しして下さいね」と、紙切れをもらった。

私は「なるほど、これは何かのアピールチャンスかも」と、そそくさと書き込んだ。


そして予定時刻、人ごみでごった返す書店の特別スペースに設置されたデスクに、

オーケンがはにかみながら登場。

「おおっ!生はでけぇ!」と興奮を抑えながら、長蛇の列に並び、いよいよ自分たちに

順番が回ってきた。事前に買ってあった新刊の「リンダリンダ〜」にサインをしてもらい、

握手をしてもらう。「この人があの小説書いてるのか〜」と何故かこっちが

緊張してしまい、テンションが舞い上がる。そして「あっ、そういえば」と先ほど

書き込んだメッセージカードを、オーケン氏に差し出した。

それに目を落としたオーケン氏、一瞬ギョッとした表情を浮かべながら、

「アハハ・・・」と明らかに苦笑いを浮かべて、遠い目をした。オーケン氏は

「じゃ、また大阪来た時はよろしくね」と言って、もう一度握手してくれた。



後日、オーケン氏が連載を持つ週刊チケットぴあに、その時のサイン会のことが

書かれていた。まぁギャグたっぷりのテイストに書かれていたが、どうやら

「今回のサイン会で色んなメッセージカードがもらったけど、俺は読者に

 なめられてるのかなぁ〜」と少し憤慨されていたのだ。その中に



大阪府 南河内郡20歳・男Aくん

 今度大阪に来ることがあったらコーヒーでもおごりますよ。連絡下さい。

 携帯090−3×××−×××6」
という、私のメッセージが載っていた。あらら・・・



今思えば、何であんなこと書いたんだろう。電話なんか、かかってくるはずもないのに。

若かったから、あんなにおバカだったのかな?

その答えは、オーケン氏の作品を読めば少しだけ分かってくるような気がする。




※この詳細は大槻ケンヂ氏のエッセイ集「神菜、頭をよくしてあげよう」に
 収録されています。よかったら読んでね。