中島らも。

sakaeyusuke2005-06-02

だ〜〜れも興味の無い最近の私の楽しみは、時間が空けば近所の

バーミヤンに行ってドリンクバーのみを注文し、砂糖とミルクで

甘ったる〜くしたコーヒーを何杯もおかわりしながら、ジーパンの

尻ポケットに忍ばせておいた小説を読んで何時間も粘ることである。

我ながら何て淋しい奴だろう。


今読んでいる本は中島らものエッセイ集

「愛をひっかけるための釘」。面白い・・・

中島らもは大学時代からず〜っと読み続けている作家だが、この人の

書いたものは全然飽きない。学生時代、友人にまず大槻ケンヂの本を

薦められ一通り読破した後、文中で大槻ケンヂ中島らもの本を勧めているのを見て、

何気に手を伸ばしてみた。後から知った話だが、オーケンかららもへの転進は、

この系統の読者の王道パターンらしい。それからというもの著作品の多い

中島らもにまだどっぷりと浸かっている。彼の作品は多方面に渡る雑学と

筆者自身の経験談・思想が混同し、笑わせながら心が

ほっこりするようなものが多い。そして何より筆者自身の生き方が面白い。

否、面白かった。彼が亡くなってからもう1年近く経つだろうか。

酔っ払って階段から落ち、そのまま帰らぬ人となってしまった。

しかしその死に様さえも、彼を知る人からすれば最も

彼らしいこの世の去り方だったと思われる。


有名だけど彼の略歴を少々。1952年4月3日生まれの兵庫県尼崎市出身で、

全国でもトップの進学校灘高校を卒業後、浪人して

大阪芸術大学に進学(ちなみに私と同じ母校)同校を卒業後、

関西の広告会社に就職。数年で退社後、コピーライターとして独立。

関西の有名な練り物食品会社「カネテツデリカフーズ」のCMを長年手がける。

その頃作った住宅会社関係の有名ボツコピー

「家は焼けても柱は残る」は今でも業界では語り草である。

そして朝日新聞紙上で連載した「らもの明るい悩み相談室」

注目を浴び、活動を多角化。作家、バンド、劇団「リリパット・アーミー」の主宰、

放送作家として脚光を浴びる。

(ちなみに放送作家としては関西で若かりし頃のダウンタウンの番組などを手がける)

一昨年、生前の彼が大麻所持で捕まったのは有名な話ではあるが、

彼は昔ヒッピーだったこともあり、薬物関係の知識に精通しており、

学生時代や若かりし頃に経験した薬物体験談をまとめた作品が多数存在する。

またアルコール中毒で何ヶ月も入院したこともあり、その体験談を私小説として

まとめた「今夜、すべてのバーで」は私が思う彼の傑作。

アルコール中毒患者が病院で刻一刻と禁断症状に陥っていく様が

グロくリアルに描かれており、ラストの一言は爽快でカッチョいい。

そして私的に一番オススメなのが、彼の学生時代を綴ったエッセイ

「僕が踏んだ街、僕が踏まれた街」

私が同じ大学出身という背景もあるが、若者の漠然とした不安、

そして当時の歪んだ日々を記したこの作品は、何度読み返しても胸を締め付ける。

たぶん私はあと数冊読めば、彼の作品を読破してしまうんじゃないだろうか。

昔読んだのを引っ張り出してきてまた読めばいいのだけど、

やっぱりもう彼の新しい作品を読めないのは少し淋しい。

できれば一度でいいから、生はどんな人だったのか、この目で見てみたかったなぁ。

自分が憧れていたりスゴイと思う人も、勿論年を老いて死んでいく。

老衰じゃなくても、この中島らもみたいに事故で突然死んでしまう

ことだってある。だからその前に、自分がそんな人たちにほんのちょびっとでも

追いついていつの日か対面できるよう、日々精進するのみである。